城郭・御殿

●城郭(じょうかく)とは、城のこと。または城と曲輪の総称。本来、城は内城、郭は外城を指した。城郭で囲まれた都市を城壁都市という。

●御殿(ごてん) とは、身分の高い人が住む邸宅の意。

日本の城

日本における城は、古代の環濠集落から石垣と天守を持つ近世の城まで多様なものが含まれる。幕末の台場や砲台も、城に含めることがある。造営は、堀や土塁を築く普請(ふしん、土木工事)と、門や塀を造る作事(さくじ、建築)からなる。屋敷や櫓・天守も作事に含まれる。

中世の城では、戦闘員である武士がおもに駐在し、その武士たちを抱える主君の武家や豪族は、城のある山とは別の場所に館を構えて居住していた。戦国時代には、主君も城内に居住するスタイルが現れ、おもな家臣たちも城内に屋敷を与えられ、その家族や日常の世話をする女性も居住した。戦国末期から近世の城郭では、外郭を築き、城下町も取り込む城も現れた。江戸時代の1615年に一国一城令が発布されるまでは、城は各地に多数存在し、砦のような小さなものも含めると数万城あったといわれる。中世・近世に、平地に築かれた館や館造りの陣屋等は城には含まないものの城郭構の陣屋や館、少しでも城に近づけて造られたものは、城とすることがある。


姫路城 松本城

                            

城の構造

 

①平城(ひらじろ)は、平地に築かれた城をいう
②平山城(ひらやまじろ)とは平野の中にある山、丘陵等に築城された城のことをいう。同字で“ひらさんじろ”と読むものは、「丘城」のことである。
山城(やまじろ)は、険阻な山を利用して築かれた城。

 

 

城郭

 

縄張築城に際しての基本設計を縄張(なわばり)あるいは径始・経始(けいし)といい、その中心は曲輪の配置にあった。“縄張”の語源も曲輪の配置を実地で縄を張って検証したことに由来するとされる。近世に入ると、軍学者たちにより、様々な分類・分析がなされた。縄張の基本的な形式としては、曲輪を本丸・二の丸・三の丸と同心円状に配置する「輪郭式(りんかくしき)」、山や海川を背後におき(後堅固)本丸がその方向に寄っている「梯郭式(ていかくしき)」、尾根上などに独立した曲輪を連ねる「連郭式(れんかくしき)」などがあるが、実際にはそれらの複合形を取ることが多い。
曲輪堀や土塁・石垣で囲まれた区画を曲輪(くるわ)といい、城はこの曲輪をいくつも連ねることで成り立っていた。江戸時代には(まる)ともいわれた。防御の中心となる曲輪は本丸(=本曲輪・主郭)であり、他に二の丸・三の丸が設けられることが多かった。城によっては、櫓曲輪・水手曲輪・天守曲輪・西の丸(大名の隠居所)などが設けられることもあった。馬出(うまだし)が大規模化したものを馬出曲輪、ある城に隣接している独立性の高い曲輪は出曲輪・出郭(でぐるわ)、出丸(でまる)という。大坂の役の真田丸や熊本城の西出丸といったものがある。一般に山城では各曲輪の面積が狭く設置可能な施設は限られていたが、平城では各曲輪の面積が広く御殿など大規模な施設の設置が可能であった。
外郭城が中世の臨時的な軍事基地から恒久的な統治拠点になると、城下町や家臣団防備の目的で従来の城の機能的構成部分(内郭)から、さらにもう一重外側に防御線が設けられることがあった。これを「外郭(がいかく)」または「外曲輪(そとくるわ)」「惣構(そうがまえ)」などという。普通、城という場合、内郭だけを指し、外郭は天然の地勢(山・河川)をも含むため、どこまでをいうのか不明瞭なものもあった。
虎口 城の出入口を、虎口(こぐち)という。大抵は曲げられて造られることが多く、城門や虎口の正面に蔀(しとみ)や芎(かざし)と呼ばれる土塁を設けてまっすぐ進めなくすることもある。城の正面(近世城郭では通常は南)の虎口には大手門・追手門(おおてもん)、裏の虎口には搦手門(からめてもん)が構えられた。虎口は城兵の出入り口であるとともに、敵の侵入口にもなるため特に厳重に防備が固められた。虎口に塁壁で四角形の空間を形成して門を2重に構えたものを桝形虎口(ますがたこぐち)という。虎口の外側にある堀の対岸に、橋頭堡としてさらに堀で囲まれた小さな曲輪を造ることがあり、これを馬出(うまだし)といった。敵と対面する虎口の堀には土橋や木橋が架けられた。木橋の場合は、必要に応じて城内と城外、郭内と郭外を遮断するために、木橋の板をはずすか、または破壊することができた。特殊なものとして、あらかじめ可動式にした橋があったらしい。算盤橋(そろばんばし)や車橋(くるまばし)などの郭内に引き入れる引橋があったといわれる。虎口の門柱によ橋を釣り上げる桔橋・跳橋(はねばし)もあった。
塀(へい)は、曲輪内を仕切るほか、防御の目的で石垣・土塁の上にも築かれた。中世には竹で小舞を編んで土を塗った掘立の土塀が多く使われ、近世には礎石立てで小さな屋根をかける壁の厚さ20センチメートルほどの土壁が主流となり、版築土塀の要素を含んだ「練塀」も登場した。防火のために漆喰を塗り籠めたり江戸時代中期には土塀の外壁に瓦を貼り付けた海鼠塀が登場した。塀や櫓には矢・弾丸などを射出するための小窓が設けられ、これを狭間(さま・はざま)といった。その窓の形により丸狭間・菱形狭間・将棋駒形狭間・鎬狭間・箱狭間などと呼ばれ、塀の下の石垣の最上部に切込みを入れるようにあけられた石狭間もあった。その用途によって矢狭間・鉄砲狭間・大砲狭間などと呼ばれた。
櫓・矢倉(やぐら)は、物見台や倉庫、防衛を兼ねた建物である。櫓は通常、数字やいろはの番号を冠して一番櫓、二の櫓、はの櫓、ホの櫓など呼んだり、方位を冠して巽櫓(たつみやぐら)・丑寅櫓(うしとらやぐら)、東櫓、西櫓などといい、また用途などによって着見櫓・月見櫓・太鼓櫓などと呼ばれるものもあった。郭の角にある隅櫓は、近世城郭では通常二重櫓、大きな城などでは小規模な三重櫓が用いられることもあったが、中には大坂城本丸にあった三重櫓や熊本城にある五階櫓のように天守に匹敵する規模の櫓があげられていた例もある。
天守城郭の最終防衛拠点と位置付けられ、城の象徴でもある天守は、大型の望楼櫓が発展したともいわれる。名称の由来は、仏教の多聞天、梵天、帝釈天(=天主)を祀ったところから命名されたものという説、城主の館を「殿主」「殿守」といったところからきたという説などがある。しかも、天守の文献上の初見は、摂津伊丹城とするものや松永久秀の大和多聞山城とするもの、また、織田信長の安土城の天主とするものなどの説があり、起源については未だに十分解明されていない。多様な形式・形状の天守が築かれたが、築城のピークは関ヶ原の戦い前後で、特に西日本には姫路城天守のように高さ20メートル前後から30メートル前後のものが築かれたのも特徴である。

ページトップへの戻りリンクについて

ページトップへの戻りリンクは、ページの右下に配置しており、スクロールすると現れる仕組みになっています。こうすることにより、ページトップへの戻りリンクが目に入りやすく、ユーザにこのリンクを、より活用していただけるのではないかと思います。

JavaScript(jQuery)の使用について

当CSSデザインテンプレートでは、JavaScript(jQueryライブラリ)を使用しています。使用している箇所は、インデックスページのスライドショー、インデックスページのスライドショー下の3つコンテンツが並んでいるエリア、ページトップへの戻りリンクです。そのため、JavaScriptを有効にしていないブラウザではレイアウト崩れを起こしてしまいますので、ご留意ください。

カスタマイズについて

カスタマイズはご自由になさってください。
制限はありません。

その他、不具合などございましたら
CoolWebWindowにお知らせください。

御殿

御殿イメージ

本丸(ほんまる)とは、日本の城の中核となる曲輪(くるわ)の名称である。一の曲輪本曲輪一の丸とも称される。中世城郭では、本城実城(みじょう)、詰丸などと呼ばれ、城によって呼び名が異なる。日本の中世考古学においては主郭(しゅかく)と呼称される。

用途

中世の山城では、本丸に当たる主郭に大将が居する陣屋を置き、戦時や城に立て篭もるときは麓の館から主郭の陣屋に入って指揮を執った。

近世における本丸は、城主とその家族が暮らす奥御殿と政庁である表御殿を置き、必要に応じて重層な天守や櫓を建て並べ、城主の権威の象徴として、また最後の守りとしての体裁を持った。また、本丸の内または本丸と別に、天守のある小規模な曲輪を形成している場合もあり、天守曲輪または天守丸と称した。

一方で、そうした本丸の機能を二の丸や三の丸などに置き、本丸には櫓や天守などの防御施設だけを建てて日常生活が可能な屋敷を置かずに簡素化したり、面積を狭くして戦時における詰の丸としての機能だけをもたせる場合もあった。

▲本丸御殿イメージ
▲本丸御殿内部 ▲本丸御殿平面図
 

 

小大名の城

下野の国

 ▲皆川城(みながわじょう)は、現在の栃木県栃木市にあった中世の日本の城である。別名、法螺貝  (ほらがい)城とも呼ばれる。

 ▲下野国宇都宮城絵図

 ●宇都宮城(うつのみやじょう)は栃木県宇都宮市本丸町にあった日本の城。別名亀ヶ岡城

  輪郭梯郭複合式平城で関東七名城の一つ。 江戸時代は宇都宮藩の藩庁となった。

 

 

 

  • 普通のリスト2
  • 普通のリスト3

番号付きリスト

  1. 番号付きリスト1
  2. 番号付きリスト2
  3. 番号付きリスト3
    li要素の中はブロックレベルのタグを使用することが出来ます。例えば、<p>タグも記述することが出来ます。

定義リスト

定義リスト1
定義した用語の説明
定義リスト2
定義した用語の説明
定義リスト3
定義した用語の説明
dd要素の中はブロックレベルのタグを使用することが出来ます。例えば、<p>タグも記述することが出来ます。しかし、dt要素にはインライン要素しか記述することができません。

テーブル

見出し1見出し2見出し3見出し4見出し5
セル1セル2セル3セル4セル5
セル1セル2セル3セル4セル5
セル1セル2セル3セル4セル5
ページのトップへ戻る
inserted by FC2 system